中駒織物

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昭和二十二年、祖父・中島 駒美は長男・義雄と結婚した母・薫の紬設計/デザイン才能をふとしたことから発見し
それまで小機屋であった家業を四年後に株式会社に改めました。

中島の「中」 駒美の「駒」で中駒織物です。

中島薫祖父の目は確かでした。
昭和三十年代に全盛期を迎える着物ブームのー需要に応えるべく薫は次々に新しいデザインを生み出してゆきました。
彼女のデザインは古代調でありながらも新しく日本の紬の文様を変えたと言われたそうです。
いまでも研裳会賞等の陶額や賞状等が数えきれない程倉庫にあります。

常々 関東に商圏を広げたいと考えていた父・義雄は東京の学校に来ていた長男のこともあって
薫の弟たちに会社を託し夫婦で上京しました。しかし無理が祟って義雄は他界します。

デザインから離れた薫は息子と娘三人で暮らしていましたが。
十日町の弟たちの要望によってデザイン経営等の顧問として又自らは町田で「誰が苑」の名で呉服店を開きました。
此度、母薫が新潟に戻ることにより今までの蒐集品や購入ルートを私に委ねることになりました。

今回、中駒織物時代からの蔵を開けました。
今ではなくなってしまった国産カイコを使った手織りの紬。
作り手のいなくなってしまった総刺繍の打掛。
日本がなくしてしまった技術を駆使した複雑で繊細な反物の数々。

糸に人生をかけた祖父。着物のデザインとアイデアに生きた父母。私は3代目です。
祖父や父母のような特技はありませんがこのまま朽ち果てさせるにはあまりにも哀しい。

日本の美しい織物を世の中に出そうという気持ちに迷いはありません。
柱に「飾り事」を 身を飾り 季節を飾り 空間を飾り 心を飾る
を目標に 創業いたします。

如月 吉日          織物屋 誉晧